Jean Prouvé
ジャン・プルーヴェ
Jean Prouvé(ジャン・プルーヴェ)は、1901年フランス・パリ生まれ。父はナンシー派(19世紀末から20世紀初頭にかけて欧米で展開したアール・ヌーボーの一流派で、日本美術に強い影響を受けた草花鳥虫、とりわけ植物文様をモチーフに使った自然主義的な表現に特色があった)の指導的画家、母はピアニストでした。ナンシー派の発祥の地であるフランス東部の町ナンシーで、さまざまな工芸品や芸術品に囲まれて育ちました。
ジャン・プルーヴェは、1984年の没年まで建築家兼デザイナーとして活躍し、フランスの工業デザインの発展に大きく貢献しました。
建築と家具をうまく融合した建築家ですが、どちらの分野も独学で学びました。鍛冶屋で金工職人からスタートした彼は、1923年に工房をナンシーに持ち、9年後には、アトリエ・ジャン・プルーヴェと自身の名前を冠したアトリエを設立しました。そして、生産性を高めるため、1947年にはナンシー近郊のマキエヴィルに工場を設立しました。
しかし、会社の規模が大きくなるにつれて、利益を追求する株主との間で意見の相違が起こり、1953年には自身の会社を手放すことになりました。その後数十年の間、パリに建設される多数の建築プロジェクトにおいてコンサルティングエンジニアを任され、1971年にはポンピドゥー・センターのデザインコンペのトップとして、レンゾ・ピアノとリチャード・ロジャースのデザインを選出し、再び建築史にその名を刻みます。
彼の作品は幅広く、レターオープナーからドアや窓の部品、 家具、照明、プレハブ住宅、建築モジュラーシステム、大規模な展示の設計に至るまで工業生産が可能なほぼすべてを網羅しています。
ジャン・プルーヴェは、他人の作品を見てデザインのヒントを得るようなことはせず、常に最新の技術を探求し、建築やプロダクトデザインの課題とディテールを新しい構造を見出すことにより解決してきました。彼のデザインした家具やプロダクトには独自のスタイルがあり、そこには間違いなくエンジニア的な要素が含まれています。
(写真:ジャン・プルーヴェと彼の兄弟ヘンリーにより1953年にデザインされたペトロール・ステーションは、実際に使われていたガソリンスタンドでした。それぞれの部品を解体して、2003年にヴィトラキャンパスに移転しました。)
1934年に発表された「
STANDARD CHAIR(スタンダードチェア)」はジャン・プルーヴェの代名詞と言えます。フランスのナンシーの大学都市のコンペティションをきっかけにデザインされたもので、プライウッドとスチールという当時としては先進的な素材の組み合わせでした。椅子の背面側を強調し、三角形のがっしりとした太い独創的な後脚が、背もたれと座面に調和されています。
椅子に座った時、後脚に最も負担がかかるという椅子の本質を見抜き、かかる重さが比較的軽い前脚には細い鋼のチューブを使い、より大きな重さがかかる後脚には、太さをもたせた中空の鋼板を用いる事で椅子にかかる重さを床へ逃がせる構造になっています。この「スタンダードチェア」からも、彼が構造というものに強いこだわりを持っていたかがよく分かります。
彼は、自身を「工人」「建設家」と呼びました。構造を追求し、ものづくりの真髄に迫り続けたからこそ、自分のことをそう呼んだことがうかがえます。
ジャン・プルーヴェのヴィンテージ品においては、希少価値が高く、コレクターの間で垂涎の的になっています。海外ではブラッド・ピット氏やマーク・ジェイコブス氏、日本ではNIGO(R)氏、Wonderwallの片山正通氏、UNDER COVERの高橋盾氏、L'Arc-en-CielのTETSUYA氏などがコレクターとして有名です。
2002年より、プルーヴェファミリーとの密接な協業の下、
Vitra(ヴィトラ)社が彼の代表的な家具の復刻と製造を行っています。
「
Vitra(ヴィトラ) CITÉ(シテ)」は、フランスのナンシーの大学都市の学生寮のためにデザインされた初期の名作です。パウダーコーティングされたスチール製のフレームに革のベルトを渡してアームレストとした、ゆったりとして快適なアームチェアで、プルーヴェ自身も自宅のリビングで使用していました。
「
Vitra(ヴィトラ))
POTENCE(ポタンス)」は、2メートルを超える大きな照明でありながら、電球とスチールを用いたスイング式のアームだけで構成された、簡潔なデザインが魅力です。ビーチ材のハンドルがついたアームは、パウダーコート仕上げのスチールチューブでできています。
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