Ludwig Mies van der Rohe

ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ

Ludwig Mies van der Rohe(ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ)は、1886年ドイツ・アーヘン生まれ。1929年のバルセロナ万国博覧会のドイツ館建築デザインを手掛け、パビリオン内に配置したバルセロナチェアは、今なおモダンデザインのアイコンとなっています。 1930年から3年間バウハウスの校長を務めました。ナチスの台頭により、1938年アメリカへ亡命し、イリノイ工科大学建築学科の教授となります。ニューヨークのシーグラムビルディングなど近代建築の顔ともいえる作品を残しました。
Ludwig Mies van der Rohe(ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ)

Ludwig Mies van der Rohe

ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ


今回ご紹介するLudwig Mies van der Rohe(ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ / 1886-1969)は、20世紀を代表する建築家の一人。Frank Lloyd Wright(フランク・ロイド・ライト / 1867-1959)、Le Corbusier(ル・コルビュジエ / 1887-1965)とともに、近代建築の三大巨匠と呼ばれています。
ドイツのアーヘンという町で、墓石や暖炉を扱う石工職人の息子として生まれたミースは、父の仕事を手伝う傍ら地元の職業訓練学校で製図工を学び、漆喰装飾のデザイナーとして自身のキャリアをスタートしました。 しばらくしてベルリンに移ったミースは、デザイナーであるBruno Paul(ブルーノ・パウル)の事務所でインテリアや建築を学び、21歳にして最初の建築作品となる「リール邸」を設計しました。その仕事が認められ、ミースは建築や工業デザインの分野で活躍していたPeter Behrens(ペーター・ベーレンス)のもとに弟子入りしています。その後26歳で独立したミースは、翌年には裕福な実業家の娘と結婚し、彼女の紹介でベルリン近郊の富裕層の住宅を手がけていきました。
そんなミースが注目され始めたのは、1920年代以降のこと。彼は、産業革命によって量産されていた鉄やガラス、コンクリートなどの新しい素材と建築構法を用いた革新的な計画案を次々に発表し、周囲を驚かせたのです。残念ながらそれらのプランは実現することはありませんでしたが、1929年に設計したバルセロナ万国博覧会の「バルセロナ・パビリオン」では、従来の建築には見られないような自由な平面と浮遊感のある空間を見事に具現化し、モダニズムの建築家としての頭角を現しました。バルセロナ・パビリオンは、ミースの代表作であり、近代建築における最高傑作のひとつに数えられています。
こうしてドイツのモダニズム建築を牽引していったミースは、1930年にはバウハウスの3代目校長に就任して建築教育にも尽力しますが、ナチスの勢力によって、1933年に学校が閉鎖されることとなり、彼自身も国外への亡命を余儀なくされました。

Ludwig Mies van der Rohe(ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ)
 
1938年、52歳でアメリカのシカゴへ移り住んだミースは、そこでも精力的に建築活動を続けていきました。 彼が1945年から1951年にかけて設計した「ファーンズワース邸」は、20 世紀の最も美しい住宅と称されていますが、実は、その工期の長さと予算超過が原因で施主と訴訟沙汰になったというエピソードもあり、細部まで一切の妥協を許さない、ミースのこだわりがうかがえる作品です。
さらに、1958年にPhilip Johnson(フィリップ・ジョンソン)との共同設計によって完成した「シーグラム・ビルディング」は、ミースの名を一躍有名にしました。当時としては異例の高さ157mにも及ぶそのビルは、ニューヨークのど真ん中にそびえ立ち、多くの人々に衝撃を与えたのです。

Ludwig Mies van der Rohe(ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ)
 
これらを含め、ミースは生涯を通じて200を超える建築を手掛けたと言われていますが、その一方で、家具のデザインにも取り組んでいました。 最も有名な「バルセロナチェア」は、その洗練された優美な姿に、見覚えのある方も多いのではないでしょうか。これは、バルセロナ・パビリオンでスペイン国王夫妻を迎えるためにデザインされた椅子。X字型のスチール脚は、王位の象徴である交差した剣をイメージしています。
その他にもミースは、20世紀のモダンファニチャー史を飾る名作家具をいくつか残しており、それらは現在、世界有数の家具ブランド・Knoll社によって製造・販売されています。実は、渡米後しばらくの間イリノイ工科大学で教鞭を執っていたミースは、その教え子として、Knollの経営者となるFlorence Knoll(フローレンス・ノル)と出会い、後に、バルセロナコレクション、ブルーノチェア、MRシリーズなどの家具を製作する独占的な権利をKnoll社へ譲渡した経緯があります。これにより、ミースの作品は世界中に広まることになりました。


Less is more

"より少ないことは、より豊かなことである"



これはミースが生前に述べた言葉で、シンプルなデザインを追求し、本当に必要なものだけに絞り込むことで、より美しく豊かな空間が生まれるという意味が込められています。この思想から生まれたミースの作品の数々は、今なお色褪せることなく、時代を超えて人々を魅了し続けています。

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