Eileen Gray

アイリーン・グレイ

1878年、アイルランドで生まれたEileen Gray(アイリーン・グレイ)は、Le Corbusier(ル・コルビュジェ)自身を嫉妬させた女性デザイナーです。パリで出会った日本人留学生菅原精造から漆技法学び、彼女の作品に漆が使われるようになりました。 その後、バウハウスのマルセル・ブロイヤーに刺激され、漆からスチールパイプを用いた家具を手掛けていきます。前衛的なモダンデザイン家具を生み出した数少ない女性デザイナーです。
Eileen Gray(アイリーン・グレイ)

Eileen Gray

アイリーン・グレイ


20世紀のデザイン界に大きな影響を与えたデザイナーの一人、Eileen Gray(アイリーン・グレイ)。彼女は1878年にアイルランドで生まれ、風景画家である父と、貴族の血筋を継ぐ母のもと、裕福な家庭で育ちました。父の影響で幼い頃から絵画に親しんでいたグレイは、1900年、ロンドンのスレード美術学院に初代女子学生として入学し、同年に訪れたパリ万国博覧会に刺激を受けて、1902年にパリへと移住します。
1900年代初頭のパリといえば、ピカソやユトリロ、モディリアーニをはじめとする天才画家たちによって芸術が開花した時代。アイリーン・グレイも美術学校でデッサンを学んでいましたが、自身の画家としての才能には限界を感じていたようです。その頃、彼女はロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館で魅せられた日本や東アジアの漆器を思い出し、パリで活動していた日本人の工芸家・菅原精造のもとで漆の技術を学び始めました。漆の製作には、ほこりがなく湿度のある場所が必要とされ、海辺が適しているといわれており、グレイはバスルームで漆塗りの作業をしていたようです。漆工芸の対象は、食器類から、テーブルやキャビネットなどの家具へと発展していきます。彼女の初期の作品には、動物や花などのモチーフをあしらったアール・ヌーボーの様式が見受けられましたが、その後は、アール・デコや第一次世界大戦後にオランダで起こった芸術運動デ・ステイルを彷彿とさせる、抽象的な幾何学原理と日本の職人技を融合させた艶やかな屏風を制作し、パリの前衛芸術家たちの注目を集めました。
漆家具のデザイナーとして地位を確立していたアイリーン・グレイは、次なるステップとして「Galerie Jean D??sert(ギャラリー・ジャン・デゼール)」というショップをオープンし、ビジネスウーマンとしての一面も見せます。その頃から、グレイはインテリアデザイナーとしても仕事の幅を広げていましたが、その気晴らしとして建築のスケッチを描いていたようで、それを見た、恋人であり建築評論家のジャン・パドヴィッチは、グレイに秘められた建築家としての才能を見出し、本格的に建築の世界へと誘いました。
1920年代、40歳を過ぎたアイリーン・グレイは、遅咲きの建築家としてデビューを果たします。1929年、当時51歳のグレイが南仏のコートダジュールに設計した「E1027」は、パドヴィッチと過ごすために作られた住宅で、彼女にとっては処女作にして最高傑作となりました。驚くことに、グレイはモダニズム建築の巨匠、ル・コルビジェが提唱した「近代建築の5原則」を、彼より先に実現したのです。グレイは、E1027のために家具のデザインも手掛け、機能美と構造美を備えた名作を数多く残しました。ル・コルビジェは、こうしたグレイの才能にひどく嫉妬したようで、E1027の白壁にフレスコ画の落書きをし、グレイを激怒させたというエピソードも残されています。しかし、当時は男性優位の時代。コルビジェを筆頭とする男性建築家らが次々台頭していく一方で、グレイは彼らと交わることなく、孤独な道を歩んでいきました。
第二次世界大戦もあり、表舞台から長らく姿を消していたアイリーン・グレイが、再びスポットライトを浴びたのは94歳の時。美術史家のジョセフ・リックワードが「Architectural Review」誌で、グレイの「独創性」と「先見性のある直観」を称賛したのがきっかけでした。1年後には、ロンドンの家具店「Aram(アラム)」が、グレイに対してデザインの再現を懇願し、互いに提携を始めます。さらに、彼女は1972年に英国王立産業デザイナーに任命されRDIの称号を授与された他、アイルランド王立建築協会賞も受賞しました。長きにわたり忘れ去られたデザイナー、アイリーン・グレイは、晩年にようやくスポットライトを浴び、人生の幕を閉じたのです。
ADJUSTABLE TABLE E1027(アジャスタブルテーブル E1027)
 
彼女が生み出した傑作は数多くありますが、そのひとつである「ADJUSTABLE TABLE E1027(アジャスタブルテーブル E1027)」は、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の永久コレクションに指定されています。また、かのファッションデザイナー、イヴ・サンローランが愛用していたという「ドラゴンアームチェア」は、彼の没後、2009年にオークションに出品され、当時の日本円に換算して約30億円という高値で落札されました。近年、日本でも「ル・コルビュジェとアイリーン 追憶のヴィラ」という映画が公開され、大きな反響を呼んでいます。
アイリーン・グレイのデザインは、全盛期から100年経った今再び注目を集め、世界中の人々を魅了しています。 現在、アイリーン・グレイの家具を正規で製造・販売するのが、ドイツのミュンヘンに本拠地を構える家具メーカーのClassiCon(クラシコン)。その名の通り、ClassicとContemporaryの融合をフィロソフィーとしています。
 BIBENDUM(ビバンダム)
 
「ClassiCon(クラシコン) BIBENDUM(ビバンダム)」は、アイリーン・グレイの代表作のひとつ。ミシュランタイヤのキャラクターにちなんで名づけられました。シャープなスチールパイプが重厚なレザーシートを浮かび上がらせ、軽快な印象を与えます。
ADJUSTABLE TABLE E1027(アジャスタブルテーブル E1027)
「ClassiCon(クラシコン)ADJUSTABLE TABLE E1027(アジャスタブルテーブル E1027)は、アイリーン・グレイが E1027 のためにデザインしたサイドテーブルで、ベット側面にテーブルの脚部が当たらないよう、キャンチレバーで支えられています。その独創的でバランスのとれたデザインは、「20世紀のデザイン・アイコン」とも呼ばれています。

ROQUEBRUNE(ロクエブリューン)
 
「ClassiCon(クラシコン) ROQUEBRUNE(ロクエブリューン)」は、アイリーン・グレイが自身のセカンドハウスのために設計したダイニングチェアです。シートは座り心地の良いレザーで、背もたれの背面は、レースアップされたエレガントなデザインが特徴です。

 DAY BED(デイベッド)
 
「ClassiCon(クラシコン) DAY BED(デイベッド)」は、どの角度から見ても魅力的な美しさと、あらゆる側面から座ることができる、機能性を持ち合わせたソファベッドです。「ADJUSTABLE TABLE E1027(アジャスタブルテーブルE1027)」との相性も優れています。
TUBE LIGHT(チューブライト)
 
「ClassiCon(クラシコン) TUBE LIGHT(チューブライト)」は、1927年にデザインされたフロアランプです。クロームメッキされた管状のスチールに、光源を取り付けるための黒いプラスチック製のランプソケットが備えられています。シンプルでエレガントなデザインは、クラシックな家具や現代的な空間にもマッチします。


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