Marcel Breuer

マルセル・ブロイヤー

Marcel Breuer(マルセル・ブロイヤー)は、1902年ハンガリー生まれ。モダニズムの旗手であり、バウハウスの創設者であるヴァルター・グロピウスの教え子で、建築と家具の両分野で業績を称えられています。1920年代初頭、バウハウスの学生として学び、その後大工の棟梁になりました。ブロイヤーの建築と家具を含む全作品は、芸術と産業を調和させるというバウハウスの目的を具現化しています。バウハウスに在籍中、自転車の構造に着想を得て、地元の配管工の技術を使用し、チューブ状のスチールを用いた家具を製作しました。この「ワシリーチェア」を含む彼のデザインは、現代の家具業界においても有名なアイコンとして受け継がれています。
marcelbreuer(マルセル・ブロイヤー)

Marcel Breuer

マルセル・ブロイヤー


今回ご紹介するのは、モダニズムの父とも称されているデザイナーの Marcel Breuer (マルセル・ブロイヤー)。家具から建築まで幅広く手掛けた彼の足跡を辿ります。
マルセル・ブロイヤーは1902年にハンガリーで生まれ、ウィーンで美術を学んだ後にドイツへ移り、創設間もないバウハウスに第一期生として入学しています。同校の家具工房で木工技術とデザイン感覚を養ったブロイヤーは、そこでマイスターの称号を取得し、卒業後も家具工房の主任を務めながら創作活動を続けていきました。 ちなみに彼が弱冠23歳にして考案した『クラブチェアB3』は、自転車のハンドルの構造に着想を得たスチールパイプの椅子で、芸術と産業を調和させるというバウハウスの思想を見事に具現化した名作です。それはバウハウスの同僚であり画家のWassily Kandinsky(ワシリー・カンディンスキー)のために作られたことから、通称『ワシリーチェア』とも呼ばれ、モダンデザインのアイコンのひとつに数えられています。

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マルセル・ブロイヤーの才能は、バウハウスの校長であり著名な建築家であった Walter Gropius(ヴァルター・グロピウス)も認めていたほど。グロピウスがナチスの台頭によってロンドンへ亡命し、現地の住宅・家具メーカーである ISOKON(アイソコン)社のパートナーに就任することになった際、ブロイヤーを同社のデザイナーとして迎え入れたのです。
ブロイヤーはそこで成型合板(プライウッド)による家具デザインに着手し、1936年からわずか2年のうちに複数の作品を残しました。それは Charles & Ray Eames (チャールズ & レイ・イームズ)が成型合板の製品を発表する以前の出来事であり、彼の先見性がうかがえるのではないでしょうか。
そんなブロイヤーは1937年にアメリカへ渡り、ハーバード大学の教授となったグロピウスの誘いで同大学の教職に就きますが、建築家として活躍していたグロピウスの影響もあり、彼の関心は次第に家具から建築へと移っていったようです。後年にかけて建築の仕事を本格化させたブロイヤーは、ユネスコ本部や旧ホイットニー美術館などの名建築を生み出し、建築家としての地位も確立していきました。
marcelbreuer(マルセル・ブロイヤー)
79年の生涯の中で、次々と先駆的なデザインを生み出したマルセル・ブロイヤー。
彼にとって、人間の本能に根ざしたものを生み出すことこそがモダンデザインであり、それは自身の思想や仕事の中に深く根ざした哲学でもありました。ブロイヤーが残したマスターピースの数々は、今日のデザイナー達にも大きな影響と刺激を与え続けています。
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Marcel Breuer COLLECTION

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