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セシリエ・マンツが歩いてきた道

INSIGHT

Takahiro Tsuchida

vol.26 2024.3.1

豊かなクリエイションを発信するもの、こと、人、場所をデザインジャーナリストの土田貴宏さんの目線で捉える“INSIGHT”。隔月の更新で世界のデザインのあれこれをお届けします。

土田貴宏
土田貴宏

ライター/デザインジャーナリスト。2001年からフリーランスで活動。プロダクトやインテリアはじめさまざまな領域のデザインをテーマとし、国内外での取材やリサーチを通して、「Casa BRUTUS」「AXIS」「Pen」などの雑誌やウェブサイトで原稿を執筆。東京藝術大学と桑沢デザイン研究所で非常勤講師を務める。
近著「デザインの現在 コンテンポラリーデザイン・インタビューズ」(PRINT & BUILD)
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セシリエ・マンツが歩いてきた道

先頃、東京・青山にオープンしたMAARKET トーキョー。そこにはデンマークの家具ブランドMuutoの世界で5店目となるフラッグシップストアが併設されています。Muutoのロングセラーである「ワークショップチェア」をデザインしたセシリエ・マンツが、この機会に来日してインタビューに応えてくれました。生まれ育ったデンマークの環境や、自身の作風を確立してきた時代背景について、話は尽きません。

セシリエ・マンツが歩いてきた道

セシリエ・マンツは陶芸家の両親のもとで育ち、大学時代からデザインを学び始めます。その経緯には、ちょっとした偶然もありました。 「常にクラフトに囲まれた生活だったので、学生時代はそれに対して反発する気持ちがありました。そのためデンマークの王立芸術アカデミーを受験する時は絵画が第1志望だったのですが、合格できずに第2志望のデザインスクールに進んだのです。3ヶ月やってみて気に入らなければ辞めるつもりでしたが、これがとてもおもしろくて。立体を扱うことにどんどん興味が湧いてきました」。

彼女がデザインを学んだ1990年代、デンマークではどんな教育が行われていたのでしょうか? 「現在はデザイン教育というと考え方からスタートしますが、当時はまさにオールドスクール。学校には溶接や木工などの工房があり、実際に自分の手を使ってものづくりを経験するのが基本でした。またアルネ・ヤコブセンの設計事務所で働いていた先生がいたりと、デンマークデザインの黄金時代との関係性の中で学ぶことができました。当時のデザイナーや建築家は論理的な文章も残していたので、そこから彼らの思想を知ることもできました」

セシリエ・マンツが歩いてきた道

その時期からマンツは、工業的なデザインとクラフトとの融合を意識し始めます。今なお彼女がデザインする家具、食器、ガラスの器などには、工業的に量産されていてもディテールにクラフトの味わいがあるのです。こうした作風が確立されるうえで、育った環境はやはり大きかったようです。 「子どもの頃は学校から帰ると両親の工房へ行き、粘土で遊んだり、陶磁器のディテールに触れるのが楽しみでした。私がデザインの道に進んだのを見て、父は前から思っていた通りだったと言います。また私の祖母はとてもいい趣味の持ち主で、コーア・クリントの家具で揃えた素敵な家に暮らしていたのも記憶にあります。5年間、いい先生に恵まれながら学校でクラフツマンシップと工業の関係を学べたのもいい経験でした。ものづくりは素材に従う姿勢が大切です」。

1997年にデザインスクールを卒業した彼女は、翌年に自身のデザインスタジオを設立。しかしすぐに大活躍したわけではありません。当時のデンマークの家具メーカーはミッドセンチュリーの巨匠デザイナーの再評価に力を入れ、若い世代を積極的には起用しませんでした。 「私たちは失われた世代だったのです。チャンスがあっても黄金時代のデザイナーと同じレベルを求められるので、なかなかうまく行きません。それでも時間を無駄にしたくないので、私は実験的な自主制作を続けました。デザインの世界の中に自分の居場所をつくろうといろんなことにトライしていました」

セシリエ・マンツが歩いてきた道

2000年代に入ってしばらくすると、デンマークのデザインシーンに新しい風が吹き始めます。Muutoのような新しい家具ブランドが徐々に登場してきたのです。 「Muutoは当初、北欧のデザイナーだけを起用する姿勢を明確にしていました。若かった私が両親に反発したように、Muutoもそれまでの北欧の家具ブランドとは違うことがしたかったのかもしれません。私とMuutoは長い付き合いで、同じコペンハーゲン市街にオフィスがあるため、何かあればコーヒーを飲みながら気軽に話し合える相手です」。

「ワークショップチェア」も両者のそんな関係性から製品化された椅子でした。 「2016年にミラノで開催されたデンマークデザインのグループ展、MINDCRAFTのためにデザインしたものです。自由にデザインしていいという企画だったので、私は『自分にとってすばらしい椅子』をつくると決め、2週間これだけに集中しました。その途中でMuutoの当時のデザインディレクターが私の工房を偶然訪れ、とても気に入ってくれて、その場でMuutoで出すと決めたのです。展示した椅子はほぼそのまま製品になりました。まるでお伽話のようなストーリーです」。 通常の椅子は、メーカーとの会議やリサーチを重ね、スケッチを描いてから試作を繰り返し、製品化までに2年以上の月日を要するとマンツは言います。

セシリエ・マンツが歩いてきた道

現在、ワークショップチェアは同じシリーズのテーブルコーヒーテーブルベンチが加わっています。「多くのデザイナーがそうだと思いますが、ひとつ何かを完成させると、そのファミリーもつくってみたくなるのです。ワークショップの場合は椅子の次にいくつかのテーブルをデザインし、さらにベンチをデザインしました。どちらもかなりの時間が経ってようやく実現しました」 こうしてバリエーションをつくる時も、マンツが第一に考えるのは機能だそうです。

「現在は、デザインの目的を自己表現だと考えるデザイナーも多い。そんな中で私は古いタイプでしょう。実験はするけれど、それでも機能は重視します。私はアノニマスなデザイナーでいたい。私のことを知らずに私がデザインしたものを買い求めてくれる人がいたらうれしいし、それが最大の賛辞だと思います」とマンツ。Muutoには、ブランドの知名度や歴史に関係なく、そんなふうに人々のニーズに合い、実際に試して手に入れるのにふさわしい家具が揃っていると言います。今後の両者のコラボレーションからは、どんなプロダクトが生まれていくのでしょうか。



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