INSIGHT|vol.38インサイト|vol.38

The Original

INSIGHT

アイリーン・グレイの永遠の新しさ
2026.5.25


豊かなクリエイションを発信するもの、こと、人、場所をデザインジャーナリストの土田貴宏さんの目線で捉える“INSIGHT”。隔月の更新で世界のデザインのあれこれをお届けします。
土田貴宏
土田貴宏

ライター/デザインジャーナリスト。2001年からフリーランスで活動。プロダクトをはじめとするコンテンポラリーデザインを主なテーマとし、国内外での取材やリサーチを通して雑誌などに執筆。東京藝術大学と専門学校桑沢デザイン研究所で非常勤講師を務める。近著『The Original』(共著、青幻舎)。 デザイン誌『Ilmm』(アイエルエムエム)のエディターも務めている。

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100年前にデザインされて現在も製造されている家具は、決して多くありません。さらに女性デザイナーによる家具に限ると、ごくわずかでしょう。もしかするとそのすべてはアイリーン・グレイが手がけたものかもしれません。今年は彼女の代表作である「ビバンダム アームチェア」の100周年のアニバーサリー。これを機に、現在まで多くの人々を触発してきた グレイについて振り返ります。

スタイリング
アイルランドで生まれたアイリーン・グレイは、ロンドンで美術を学び、1900年代初頭にパリに移り住みます。ここで日本の漆芸を体得し、漆で仕上げた家具をつくるようになりました。彼女の作風は、後にアールデコと呼ばれる当時の流行に乗ったことで富裕層の間で人気を高めていきます。顧客にはファッション界の大物であるジャック・ドゥーセらがおり、1922年に自身のショップ「ガレリ・ジャン・デゼール」をパリのフォーブール・サントノーレ通りにオープン。また1929年、建築の代表作である自身の別邸「E 1027」を完成させて、この家のためにいくつもの家具をデザインします。スチールパイプを用いたものも多く、いずれもきわめて先鋭的な感覚にあふれていました。




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ただし、デザイナーや建築家としてのグレイの功績は、やがて時代のなかで忘れ去られてしまいます。再び光が当てられたのは、彼女がすでに90歳を迎えていた1968年。建築史家のジョセフ・リクワートが、イタリアの建築誌『Domus』で「A tribute to Eileen Gray, design pioneer」というタイトルの寄稿をします。この記事をきっかけにグレイに注目したのが、イギリスで家具店を営んでいたゼーヴ・アラムでした。1973年に彼の会社がグレイのデザインの製造販売権を取得したことが、現在のように彼女の家具やラグが広く流通する礎になったのです。

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ルーマニア出身のアラムは建築家を志して1950年代にロンドンに移り、1964年にアラムデザインを創業。当時のイギリスでは、建築家が手がけた空間にふさわしい家具がほとんど流通していなかったため、そんな状況を変えようと家具の輸入に取り組みました。マルセル・ブロイヤー、ル・コルビュジエ、カルロ・スカルパ、カスティリオーニ兄弟、ヴィコ・マジストレッティといったモダニズムの巨匠たちのデザインは、アラムを通してイギリスに紹介されたのです。そんな目利きであり、意欲的な起業家だった彼は、グレイと直接話し合って厚い信頼を得ることになります。国外ライセンスはアラムからドイツのVereinigte Werkstättenに提供され、この会社を前身として1990年に創業したClassiConへと受け継がれました。

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アラムは、巨匠の功績を広めただけではありませんでした。デザイン学校に足を運び、新しい才能を見出すことにも積極的だったといいます。たとえばジャスパー・モリソンも、コンスタンティン・グルチッチも、アラムデザインで最初の個展を行っています。そして興味深いことに、現在を代表するこのふたりのデザイナーはどちらもアイリーン・グレイと接点がありました。まずモリソンは、自分が家具デザインの道に進むことを決意したきっかけとして、1972年にロンドンで開催されたグレイの個展の衝撃を語っています。まだ10代前半で、漠然とデザインや建築に興味をもっていたという彼は、そこで家具としての機能を成り立たせる構造の美しさに感化されたのかもしれません。純粋で硬質な印象のあるグレイの作風と、優しげな丸みを帯びるモリソンの作風は、一見かなり違っているように思えます。しかし機能に対する向き合い方や、その形態の純粋さは、どこか通じ合っているところがあります。

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一方、グルチッチは、グレイの家具を現在まで主力製品としているClassiConの主要デザイナーのひとりです。もともと20世紀の名作を中心にラインアップしていたこのブランドが、現代のデザイナーの起用に大きく舵を切った最初期に、彼とのコラボレーションが始まりました。新しい家具を発想する上で、実用性と大胆さを兼ねそなえさせるアプローチにおいて、グルチッチとグレイには共通性があります。また幾何学的な構成、色や素材の選択、特定の技法の探求などもどこか似ています。グルチッチがClassiConから2016年に発表した「Ulisse Daybed」は、そのデザインがグレイとシャルロット・ペリアンにインスパイアされたことを自身が言及しています。

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グレイが1926年に手がけた「ビバンダム アームチェア」は今年でちょうど100周年を迎えます。この椅子は、彼女がパリで70年間にわたって住み続けたアパルトマンでも、恋人と暮らした海辺の家E 1027でも使われていました。世界で初めてスチールパイプを使ってデザインされた椅子とされるマルセル・ブロイヤーのワシリーチェアが発表されたのは1925年頃。グレイがブロイヤーとほぼ同時期に、この素材を脚部に用いたのは驚くべきことでしょう。シルバーに輝く最低限の構造が、十分なボリューム感のあるシートを軽々と宙に浮かせている、そのコントラストが見事です。100周年記念モデルの「ビバンダム」は、シート部分にサンドトーンのヌバックレザーを使用し、E 1027にあった初期の1脚を思わせる色合いになっています。

グレイに興味をもった方に、ぜひ薦めたい本があります。スイスのフォトグラファー、Jürgen Beckによる『SUN BREAKERS』(Spector Books)です。この写真集では、モダニズムを先駆けた建築家や、革新的な家具デザイナーというグレイ像に囚われず、E 1027のありのままの姿をフレームに収めています。最寄りの駅から建物へと向かう道、敷地や室内から眺めた海景、そしてさりげない住空間のディテールまで、さまざまなシーンをまるで住人のように追体験することができるのです。その裏表紙には、「公式は何もない、生きることがすべてである」というグレイの言葉が。彼女のクリエイションには、単純化して理解することを許さない謎めいたところがあります。だからこそ永遠に人々を惹きつけるのでしょう。


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