INSIGHT|vol.32インサイト|vol.32

The Original

INSIGHT

変化しつづけるワークチェア
2025.5.01


豊かなクリエイションを発信するもの、こと、人、場所をデザインジャーナリストの土田貴宏さんの目線で捉える“INSIGHT”。隔月の更新で世界のデザインのあれこれをお届けします。
土田貴宏
土田貴宏

ライター/デザインジャーナリスト。2001年からフリーランスで活動。プロダクトをはじめとするコンテンポラリーデザインを主なテーマとし、国内外での取材やリサーチを通して雑誌などに執筆。東京藝術大学と専門学校桑沢デザイン研究所で非常勤講師を務める。近著『The Original』(共著、青幻舎)。 デザイン誌『Ilmm』(アイエルエムエム)のエディターも務めている。

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この10年間ほどで、仕事用の椅子を取り巻くシチュエーションは大きく変わりました。オフィスでは自分の席を固定しないフリーアドレスが盛んに導入され、椅子のレイアウトがいっそうフレキシブルに。スマートフォンやタブレットによる作業が増えたことで、長時間にわたりデスクに向き合う必要もなくなってきました。またリモートワークと副業の普及により、自宅での仕事も一般的になっています。こうした変化をふまえてワークチェアのデザインを眺めると、道具としてよりも家具としての魅力を大切にするべきなのは明らかでしょう。歴史的な名作から現在の最新作まで、そんなワークチェアを見ていきます。

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フランスのジャン・プルーヴェがデザインした「フォトゥイユ ディレクション ピヴォタン」は、堂々とした重厚感のある1脚です。プルーヴェといえば1930年代に発表された「スタンダードチェア」が代表作ですが、その合理的な構造をベースにクッション付きのアームチェアとした「フォトゥイユ ディレクション」という椅子があります。その椅子を、さらにキャスター付きの脚部をつけて発展させたのが、フォトゥイユ ディレクション ピヴォタンだと考えることができます。がっしりした構造や、ストレートな素材使いは、フランスのミッドセンチュリーデザインの魅力の本流と言えるもの。張り地はもちろんフレームのカラーリングにも、椅子の雰囲気に合ったバリエーションが用意されています。

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「ケヴィ」はデンマークのヨルゲン・ラスムッセンによるタスクチェアの名作。成形合板の背もたれと座面を組み合わせた椅子として1958年に発表されました。1965年には、現在まで多くのワークチェアに使われている二輪キャスターを世界で初めて採用し、いっそう使い勝手のいい椅子として普及していきます。シンプルさのなかに必要とされる機能性を凝縮した完成度と、主張しない存在感から、近年あらためてブームと言っていいほど広く支持されるようになりました。国内外を問わず、建築事務所のタスクチェアの定番でもあります。

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「アルミナムグループ」の椅子は、当初はワークチェアとしてデザインされたものではありませんでした。デザイナーのチャールズ&レイ・イームズは、友人だったエーロ・サーリネンとアレキサンダー・ジラードから屋外でも使用できる快適な椅子を依頼され、耐候性に優れるアルミニウムをフレームに採用。張地はメッシュ素材を独自の方法によって固定し、その弾性によって座り心地を高めました。この構造がもたらす洗練と実用性が、オフィス向けワークチェアとしても有効だったのです。近年の高機能モデルとは異なるスタイルですが、今なおスタンダードであり続けています。

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アルネ・ヤコブセンがデザインした「オックスフォード」チェアは、そのフォルムがイームズのアルミナムグループチェアに少し似ています。しかし発想の原点はまったく異なるもの。ヤコブセンが1950年代に発表したアントチェアやセブンチェアと同様に、1枚の成形合板のシートから発想されているからです。滑らかな曲面に、どこか端正さを感じるのはそのためでしょう。アームレストの造形やディテールが、シートのカーブと美しく調和しています。1965年にイギリス・オックスフォードのセント・キャサリンズ・カレッジの教授用にデザインされたものですが、現在はサポート性を向上させ、チルト機能などを加えて機能面も充実。モダンな印象をいっそう高めています。

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コンピュータなどのディスプレイに向かって仕事をする時間が増大した1990年代、革新的なワークチェアとしてデビューしたのが「アーロンチェア」です。アームの位置やリクライニングの硬さなど細かい調整が可能で、座る人の姿勢に合わせて形状を変化させる高機能性は、瞬く間にオフィス空間に受け入れられていきました。人間工学に基づくハイパフォーマンスを反映し、独自のメカニズムを見せつけるようなスタイルは、ワークチェアの新しい時代を切り開きます。デザインしたのはアメリカのビル・スタンフとドン・チャドウィック。枠状のフレームにメッシュを張って身体を支える点においては、同じハーマンミラーのアルミナムグループチェアに通じるところもあります。

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ベルギーのデザイナー、マールテン・ヴァン・セーヴェレンによる「.04」の座面は、あまりオフィスチェアらしくありません。モノリシックな造形は、座り心地がよさそうには見えないからです。しかしこのシートシェルはポリウレタンでできていて、座ってみるとちょうどいい柔らかさを感じます。セーヴェレンは、従来のデザインのアプローチを根本から見直し、素材のもつ特徴を再考して、オリジナリティあふれる数々の家具を手がけた人物でした。この椅子もまた、意外性のあるデザインであるとともに、本質を捉えた完成度の高いプロダクトです。

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フィンランドのアルテックは、建築家アルヴァ・アアルトが手がけたバーチ材の家具によって世界的によく知られています。2014年、このブランドからコンスタンティン・グルチッチが発表した「ライバルチェア」は、アアルトの遺産にインスピレーションを得ながら現代のニーズを踏まえて生まれました。たとえばシルエットはアアルトの名作「スツール60」に似て、円形を巧みに取り入れています。ただし背もたれやアームレストをそなえ、座面が回転するので、デスクワークにも対応するのです。多くのパーツに無垢材や合板を使っているため、ダイニングチェアなどに合わせてもあまり違和感がありません。リモートワークが普及する現在のニーズを先取ったかのような1脚です。

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スイスの家具ブランド、ヴィトラによる最も新しいワークチェアの提案が「ミント」です。デザインしたのはエルワン・ブルレック。一見、シンプルなアームチェアですが、背もたれは前後に、座面は前側に傾斜するように動く、独自の可動性をそなえています。楽に姿勢を変化させられる座り方は身体への負担が少なく、人間工学に即したものだと言います。

一方、カーブした座面と背もたれの組み合わせには、イームズ夫妻が1940年代にデザインした成形合板の椅子の面影が。エルワンは、彼にとってデザインはダーウィンの進化論のようなものだと語っています。 「私にとって重要なメンターのひとりがヴィトラのトップだったロルフ・フェルバウムで、彼はイームズと親交がありました。私は彼から影響を受け、彼が所有した名作から影響を受けています。中でもイームズは、他の多くの巨匠と比べて自主的に発想し、行動した点に大きな魅力を感じています」(エルワン・ブルレック)

ワークチェアのデザインは、一般的なホームユースの家具に対して、使われる環境や用いられるテクノロジーの変化を受けやすいもの。そうした移り変わりの一方で、ロングセラーには受け継がれる哲学を感じることができます。おそらく今後も人と仕事の関係は一定ではありませんが、それを超えた愛着をもたらす椅子は存在し続けるでしょう。



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