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エーロ・サーリネンの革新のフォルム

INSIGHT

Takahiro Tsuchida

vol.12 2021.10.25

豊かなクリエイションを発信するもの、こと、人、場所をデザインジャーナリストの土田貴宏さんの目線で捉える“INSIGHT”。毎月20日の更新で世界のデザインのあれこれをお届けします。

土田貴宏
土田貴宏

ライター/デザインジャーナリスト。2001年からフリーランスで活動。プロダクトやインテリアはじめさまざまな領域のデザインをテーマとし、国内外での取材やリサーチを通して、「Casa BRUTUS」「AXIS」「Pen」などの雑誌やウェブサイトで原稿を執筆。東京藝術大学と桑沢デザイン研究所で非常勤講師を務める。
近著「デザインの現在 コンテンポラリーデザイン・インタビューズ」(PRINT & BUILD)
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エーロ・サーリネンの革新のフォルム

50年余りの生涯の中で、20世紀の建築史に刻まれる斬新な建物をいくつも手がけ、並行して数々の名作家具を残したエーロ・サーリネン。ミッドセンチュリーのオーガニックデザインを象徴する彼の作風は、建築と彫刻という2つの領域を超えた革新性にあふれていました。

エーロ・サーリネンの革新のフォルム

フィンランドの国民的な建築家、エリエル・サーリネンの息子であるエーロ・サーリネンがアメリカに移住したのは、彼が13歳だった1923年のことでした。父エリエルは、自ら建物を設計したミシガン州のクランブルック美術アカデミーの初代校長を32年から務め、建築や美術の経験を積んだエーロはこの学校で36年から教職に就きます。エーロはクランブルックで数々の運命的な出会いをしましたが、特に重要だったのはデザイン部門の教師にチャールズ・イームズがいたことです。1940年、彼らはニューヨーク近代美術館の「住宅家具のオーガニックデザイン」コンペに共同で応募。現在、「オーガニックチェア」として知られる椅子は、この時の出品作のひとつでした。その後も彼らの親交は終生にわたり続きます。

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クランブルックでは、エーロの人生を変えるもうひとつの出来事がありました。フローレンス・シュスト、後のノル社長であるフローレンス・ノルとの出会いです。クランブルックの系列校のキングズウッド女学校で学んでいた彼女は、エリエルに才能を見出され、34年に美術アカデミーに進学。また早くに両親を亡くしていたことから、サーリネン家で家族同然の暮らしを送ります。つまりエーロとフローレンスは兄妹のような関係でした。43年に家具ブランド「ノル」の要職に就いた彼女が、建築家となったエーロに家具のデザインを依頼するのは自然な流れだったのでしょう。最初に製品化された「グラスホッパーチェア」は成功しませんでしたが、48年発表の「ウームチェア」はノルの定番になっていきました。

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3次元曲面の1枚のシェルが、座面、アーム、背もたれとして全身を支えるようなウームチェアのフォルムは、明らかにエーロがイームズとともに取り組んだオーガニックチェアを発展させたものです。この有機的なフォルムを実現したのがグラスファイバー強化プラスチック(FRP)でした。FRPを使った初期の椅子としてはイームズ夫妻によるものが有名ですが、ウームチェアはわずかながらそれに先んじたことになります。その存在は張地に隠れているものの、アメリカで製品化された最初のFRP製の椅子とされています。

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エーロの家具で最も広く知られることになったのが、1957年に発表された「チューリップチェア」。この椅子は、発売当初の広告などを見るとペデスタルチェアと呼ばれていたようです。現在はぺデスタルチェアというと1本脚の椅子を指しますが、脚が1本しかない椅子は当時においてほぼ前例がありませんでした。花びらを思わせるシートを支える脚部は、ワイングラスのステムのように徐々に細くなり、フロアに溶けるように丸く広がっていきます。サーリネンが最もこだわったのは、腰の部分の張り具合と、背もたれの上端だったそうですが、すべてにおいてまったく隙のないフォルムをしています。

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チューリップチェアは、実業家のアーウィン・ミラーの自邸を設計する際、白い大理石のテーブルに合わせるダイニングチェアとして最初にデザインされました。ミラーはエーロのパトロンとも言える人物であり、彼の出資によって地元のインディアナ州コロンバスに建てられた著名建築家による建物群は映画『コロンバス』のひとつの主題にもなっています。ミラー邸がエーロにとって重要なプロジェクトだったことは間違いなく、そのモダンな設えを完璧にするために、空間を乱さないシンプルな脚部をもつ椅子が発想されたのです。この脚部は、サイドテーブルダイニングテーブルなどのバリエーションを生んでいきました。

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ミラー邸を設計する時、エーロとそのインテリアに携わったアレキサンダー・ジラードは、ともに仲のよかったチャールズ&レイ・イームズに屋外用家具の開発を依頼しました。そこでデザインされたのが、対候性の高い鋳造アルミニウムのフレームにメッシュ状のシートを張った「アルミナムグループチェア」です。この椅子はノルのライバルであるハーマンミラーによって製品化され、同社の主力アイテムになっていきました。イームズ夫妻も実はフローレンス・ノルと友人同士であり、ジラードはハーマンミラーのテキスタイル部門を率いた存在。企業の枠を超えたネットワークが、当時のデザインシーンを活気づけていたことがわかります。イームズは、エーロが同時期に設計したダレス空港でも、そのロビーのための椅子を担当していました。

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1950年発表のカンファレンスチェアは、ノルがオフィス設計のプロジェクトを多く手がけるようになったことを背景として、エグゼクティブ向けにラインアップされました。スタンダードな印象の椅子ですが、特にアームレスチェアのデザインは、座面の左右から伸びるリボン状の背もたれにさりげない優雅さがあります。またアームチェアも、アームレスチェアと同様に座面の後ろと背もたれの間に穴があり、快適さと軽やかさを兼ねそなえています。ウッドの脚部とベルベット系の張地を選ぶとクラシカルに、スチールパイプの脚部と平織の張地を選ぶとモダンに見えるという、ニュートラルゆえに汎用性の高い椅子です。

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薄い4枚のコンクリートシェルを組み合わせ、内部にも有機的な空間が広がるJFK空港のTWAターミナルをはじめ、エーロの作品の多くは抽象彫刻のようなフォルムをそなえています。これはミッドセンチュリーという時代の形であるとともに、素材や技術の進歩によって実現した革新性のシンボルでもありました。たとえばチューリップチェアの薄く滑らかなシートはFRPならではの造形であり、座面を支える細く強度のある脚部は鋳造アルミニウム、その仕上げに当時としては珍しい粉体塗装を用いて上下の色合いが揃えてあります。

そんなエーロが常に目指したのは、「芸術の域にまで昇華した建築」です。それは経済性や合理性などによって導き出される建築の枠を自由に超えていくものでした。さらに彼にとって、人間が築きうる環境すべてが建築でした。都市全体から椅子や灰皿まで、あらゆるものを建築の守備範囲として捉えていたのです。51歳にして急病のため他界したエーロにとって、やり残した仕事もあったでしょう。しかし彼のデザインのすべてに、独自の思想が妥協なく貫かれていたことは疑いようがありません。

参考文献:「エーロ・サーリネン」穂積信夫(鹿島出版会)

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